新美南吉「手袋を買いに」は子供のころから大好きな作品です。もうひとつの名作「ごんぎつね」よりも好き☆
この物語を読んでいない方は、あらすじではなく、
ぜひ全文をお読みください。
短い物語です。
青空文庫でお読みいただけます
→http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html
子供の狐がはじめて見る雪に驚くさまや、
遊びまわって手が冷たくなって母狐に手を見せる様子など
読んでいて思わず笑みがもれてしまいます。
狐好きにはたまりませんね。
そして、文章を読んでいるだけで、映像が浮かんできたり、
優しい声や風の音が聞こえてきそうだったり
新美文学の素晴らしいところです。
母狐が昔のことを思いだします。
アヒルを盗もうとした友達の狐といっしょに、
「お百姓」においまくられて「命からがらに」逃げてきたこと。
ここの回想部分では、ビストロウシカの物語(利口な女狐の物語)で感じたことと同じことを思いました。
つまり、当たり前のこと、ごく日常的にあることを
そのまま書いている、ということです。
狐がアヒルを盗もうとした事に悪意がある、ということは
ないでしょうし(ごく当たり前の行動)、また、
その狐を追い回した「お百姓」も当たり前の行動をとっただけで、
ここに何らかの解釈はいらないと考えます。
善悪というものがない。
ビストロウシカの場合は、殺されてしまい、マフになってしまうのですが・・・(T_T)
しかし、ことさらに悲しみを歌うわけではない。
話がそれましたが、子狐が手袋を無事に買って、
母狐がつぶやく言葉が印象的なのですね。
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」
初稿では、「ほんとうに人間はいいものかしら。それならば・・・」と昔のいたずらを悔いる言葉で終わったそうです。
それが、「いいものかしら」という疑問のつぶやきで終わっていることがこの物語のすてきなところであり、考えされられるところでもあります。
やさしい人間のお母さんも帽子屋さんも、狐も、みんな当たり前の普通の登場人物(狐)なのです。
帽子屋さんは良い人かもしれませんが、子狐が木の葉をお金の代わりに出したら手袋を売ってはくれなかったでしょう。
人間を、この世を、ありのままに見据えた作者の、
それでも優しいまなざしが、好きです。